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海が冬を歌っていた

寒い日だった。
寒かった。
明日はもっと寒いらしい。

11月18日

晩秋に

晩秋の色彩や空気の匂いが好きだ。

今年一年分の成果や結果が集約され精算されていく時。

みなさんの2017年、いかがでしたか。






今年は染井吉野桜の紅葉がひと際美しかった。

落ち葉道をカサコソ、ガサガサと歩くのも楽しい。










しかし周囲の茂みの中からガザゴソと音がしたら
多分イノシシなので要注意。
今年はイノシシの出没が多い。

柿の生り年で、母が美味しい干し柿を沢山作ってくれた。
毎日忙しく走り回っている母がどうやって
柿を収穫し吊るし柿を作る時間を捻出したのかは分かりません。
小豆島のシンボル、オリーブもあちこちに実がどっさり生っている。
実家の畑の小さいレモンの木にも、去年の倍くらいの数の実がついている。




冬支度が進む中、十月桜が咲き
その辺りだけ季節外れの春のようだ。






それから、江戸彼岸桜。
寒桜よりは遅く、染井吉野よりは一足先に咲く春の花が
三輪だけ、ひっそりと咲いていた。







キャバリアのチョコさんは冬支度バッチリの様子。


夕暮れ、11月13日

11月11日

みなさんがきっと喜んでくれそうな綺麗な写真がどんどん溜まっていくのに
以前のようにブログを更新する時間を作れない。
なのでこれから、「今日の小豆島」という項目で
写真だけでも載せてみようと思います。


添えたいメッセージがあり
それをあまり時間をかけずにすんなりと言葉にできる時には
言葉も書くようにしよう。

小豆島からの清らかなエネルギーが、あなたの心に届きますよう。




十月最後の日没

とても美しかったです。

ハロウィンというのも、小豆島にいるとあまり関係のない出来事のように思えます。
街で暮らす誰かからその言葉を聞き、
カナダ時代のハロウィンを懐かしく思い出す程度です。

私たちは他界後しばらくして、同じような感じで
地上時代の出来事を振り返るのだろうと思います。



地上で叶えられなかった夢は

地上時代にあなたが願っていたけれども
何らかの事情で叶わなかったことは、こちらへ来てから叶えられます。 
苦労や試練を耐え忍び、定められた肉体の寿命を全うした人は
他界後、報いを受けます。
実現できなかった夢を叶えることができます。


私もそうでした。
十字架に磔にされたかのような壮絶な苦しみからすっかり解放され
体は羽のように軽くなりました。
強く望んでいたにもかかわらず、体の自由が効かず
泣く泣く諦めてきたことも、こちらに来てから叶えられています。











続き

五感だけに頼り霊的なことには実感を感じられない状況なので
そのように捉えるのは仕方がないことなのかもしれません。

死後の世界、死後の生活について
もっと知りたい、もっと学びたい。備えていきたい。
そのように思える人が増えていきますように。

求めてください。
私たちが差し伸べている愛の手に気づくようになるでしょう。



他界後の生活に備えるための地上人生

地上は修行の場です。 地上生活では難しい問題や苦労、悲しい出来事にも多く出会うことでしょう。
全てがあなたの成長のため、地上世界ならではの環境で 時に苦しみながら様々な経験を積み、愛の本質を学び 他界後の生活に備えること。
また、他界後あなたのために用意された仕事に従事するために 必要な知識や実力を身につけること。
これらが地上生活の目的です。 「死んで」他界してからが、あなたの人生の本番です。 地上に生きる今は訓練期間なのです。
今の地上での生涯こそが人生だと考え、 その期間内だけで物事を考えたり判断してはいけません。
それは、学校に通う期間こそがあなたの人生そのもので、 卒業と同時に全てが終わるのだと言っているようなものです。







霊能者、霊能力について

霊能力者は、自分の霊能力は自分のためではなく、人に奉仕するために
預けられたものであることを自覚しなければならない。
特別な霊能力を持つ自分は特別な存在なのだと勘違いしてはならない。
純粋な愛(利他愛)の行為として人のため世の中のために活用することを期待され
授けられた神聖な力である。その神聖な能力を汚してはならない。

自身の霊能力に気付いた人間は、それを正しく使うことを心がけよ。
神から託された聖なる力である。
責任感を持ち、気持ちを引き締め、神の使者としての役割を
謙虚に、そして使命感を持ち誠実に使用すること。

自分の金儲けのためや、人から注目されたい、崇められたい、好かれたい等
私的、利己的な目的に用いることは許されない罪である。
現在地上には霊能力を不正に使用し、自身の欲に溺れている霊能者が非常に多い。
悲劇的な状況である。
肉体の死後、彼等が対面することになる償いと埋め合わせのことを思うと気の毒でならない。

霊能者は自分に与えられた霊能力を正しく、他人の利益のために用い
利他愛の行為に徹している限り神の法則に保護され
更なる人助けの可能性が与えられ、世界の人々の幸せに貢献できるようになる。

利他的に生きる者は、利他愛こそが真の愛、真の喜びであることを知っているので
自身の利他的な行為によって自らも幸せを体験するようになっているのだ。
霊能力を正しく人のために用いる霊能者が増えていくことを願う。







知識と情熱のギフト

「神は問題は与えても、決して悩みは与えません。罪も与えません。
もし与えているというのなら、その与えている張本人は自分自身だということを知ってください。」 p. 211『背後霊の不思議』M.H. テスター著








何年か前に、自分の誕生日に本を買ったとブログに書いたことがあったが
今年もその近辺に本を買った。
M.H. テスターの本、モーリス・バーバーネルの本を何冊か。
彼らが残してくれた言葉に触れることができ、本当に幸せに思う。
近藤千雄先生が訳された文章には毎回惚れ惚れさせられるのだが、
両著者の言葉そのものである英語の原文も読みたい。
原書と翻訳版の両方を読むことで、翻訳の素晴らしさや有り難みを真に理解し
翻訳者の情熱、苦労、使命感や覚悟を察することができる。
霊界からの支援や導き、祝福を大いに受けていることも。
そして自分もスピリチュアリズムのために尽くしていきたいと
気持ちが引き締まるのだ。





十月になりましたね。
「九月が始まった」も「九月が終わる」も言えぬまま・・
私は秋が好きです。








絶対に許してはならないこと

「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35

癒し

チョコの写真を見て癒される、という声は以前から多く 昨日もまた頂いたので、久々にチョコやん登場。
長い間彼の写真を載せていませんでしたね。
さすがに今年の夏の厳しい暑さが辛そうですが 涼しい日や涼しい時間帯は元気です。 暑い日はエアコンの効いた部屋で寝ています。 10歳になりました。










828

カナダを去ってから、もうかなりの年月が経ったので
思い出すのも忘れてしまう年もあるのだけど、今年は思い出した。
四半世紀前の8月28日、小豆島からカナダへ渡った。
カナダへの渡航は初めてで、そのまま初対面のホストファミリーの家に行き、
数日後に14歳の誕生日を迎え、一週間後くらいには現地の学校へ通い始めたのだった。

大冒険だったなぁ、と今振り返り思う。

当時の自分は、冒険しているなど一切思っていなかったが。
新しい環境に適応していくのにただただ必死だった。

そして今振り返れば、四半世紀前に始まった”冒険旅”の本当の理由が分かる。
あの時から現在へ、一本の糸で繋がっているのが分かる。 地上界、霊界問わず大勢の人たちの愛と援助と導きによって
今日まで無事に歩んで来られたことも分かる。

以前書いたことがあるような気もするが、渡航前に父親が言ってくれた言葉。

「人と違う生き方をするということは、易しいことではないぞ。
それだけはしっかり覚悟しておけよ。」

その言葉はカナダ生活を超え、今も思い出す度勇気を与えてくれる。


振り返り感謝の祈りを捧げたら
再び前を向いてどんどん進んでいく。

8月28日は、自分の中でちょっと特別な日。















死は第二の誕生

「”生”を正しい視野で捉えていただきたい。その中で、”死”が果たしている役割を理解していただきたいと思います。人間はあまりに永いあいだ死を生の終わりと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。私どもはぜひとも無知――死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく別の生命を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられるより豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。
 死の関門を通過した人はカゴから放たれた小鳥のようなものです。思いも寄らなかった自由を満喫して羽ばたいて行くのです。人間が死と呼ぶところの看守によって肉体という名の監獄から出させてもらい、(原則として)それまでの肉体に宿っているが故に耐え忍ばねばならなかった不平等も不正も苦しみも面倒もない、より大きな生に向けて旅立ったのです。霊本来のかぎりない自由と崇高なよろこびを味わうことになるのです。
 苦痛と老令と疲労と憂うつとから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探究心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。それは間違いです。もしも霊的真理に目覚め、無知の翳みを拭い落とした目でご覧になれば、愛するその方の光り輝く姿が見えるはずです。死は決して愛する者同士を引き離すことはできません。愛はつねに愛する者を求め合うものだからです。あなた方の悲しみは無知から生じております。知識があれば愛する者が以前よりむしろ一段と身近な存在となっていることを確信できるはずです。霊的実在を悟ることから生じるよろこびを十分に味わうことができるはずです。
 皆さ…

守護霊の愛と苦労

「私はいつも思うのですが、地上の人々、中でもとくに霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感をもって認識してくだされば、どんなに有難いことでしょう。地上の愛する者へ無益な害が及ばないように庇い、守り、導いている霊の姿を一目ご覧になることができれば、と思うのです。その影響力の大きさを知ることができたら、明日のことを思い煩うようなことは絶対にしなくなるでしょう。」  シルバーバーチの霊訓(10)p. 65






ぼくもみやちゃんと同じレベルだけど自分は 肉体が無い分 よく見えるしよく解ることが多い

日の出の少し前、まどろんでいる時にはっきりと聞こえてきた声。
守護霊の声だ、とすぐに直観した。 睡眠中、手を引いてどこかへ連れて行ってくれていたようだ。
声が消えたあとは、空にメッセージが並んだ。 (実際に窓の外の空に、ではなく霊視のイメージですね) ブロック文字が次々と現れては並び、生きたメッセージカードのようだった。 メッセージの内容は明確には覚えていないのだが 愛を含む何かを一生懸命伝えようとしてくれているのは分かり、嬉しくて涙が出た。

自分はひとりではない。 姿は見えないが、一緒に歩み全力でサポートしてくれている存在が大勢いる。 大勢から愛され守られ、導かれているのだ。 分かっているつもりだが終わりのない日常の雑事や問題に追われていると、 ついつい忘れかけてしまう。。








あなたが苦しんでいる時、辛い時、涙を流す時、私も一緒に苦しみ涙を流しています。 霊的成長のための試練に対面している時、手出しせずに見守るしかできないのは本当に辛い。 できることなら代わってあげたいと思うが、それは許されません。 そしてあなたの心が不安や悲しみ、怒り等、重々しい思念でいっぱいになり 私たちを寄せ付けない状態になってしまっている時が何よりも辛い。 それらの重たい想念はこちらからの援助を拒絶してしまうのです。 大切な相手が苦しんでいるのに、何もできないのです。 私たちはただ忍耐強く、あなたの霊の心が開くのを待つしかありません。

しかし、あなたの霊の心が開き、霊の目で見れるようになり 試練を受け入れ、苦しみから学び、また一つ霊的に成長できた時 私たちが味わう幸せや喜びは格別です。
あなたが自身の都合や損得よりも人のために、と思えた時、そして行動に移せた時 私たちにとって、こんなに嬉しいことはありません。 …

夜明け

朝日に染まる太平洋の青、空の彩り 波の音、鳥の声  全てが ただただ美しかった。
この大きくて豪快な海が好きすぎて 帰って来る度に 次はいつ、戻って来れるかな?とか 次はもっと長く滞在したいなとか ここでちょっと暮らしてみるとかできないだろうかとか 色々考え、ワクワクする。
でも思えば、海はひとつ。 今いる場所にある海も、この大きな海と繋がっていて 肉眼では見えないけど繋がっていて すぐ側にある海の中に、この大きくて豪快な海があるのだ。




初夏の道

春の写真が沢山あるので掲載していくと伝えておきながら
仕事やら畑仕事やら、何かと忙しく
ほとんどブログを開くことなく過ぎ行く日々が続いています。


忙しい時こそ食事に気をつけたいし、疲れがとれるように湯船にゆっくり浸かり
その日の歪みはその日のうちに取るようにと寝る前にはストレッチを行うようにしている。
(ストレッチの体勢のまま寝落ちてしまうこともよくあるけど‥)
これらが何とかできているということは、有難い、程よい忙しさなのだと思っている。


また、シルバーバーチの原書を音読することが
最近の一番の癒し時間。
いつか詳しくお話できたらと思っているけど、嬉しいことや良いことづくし。


そして夕暮れ前に少し自由な時間があれば歩きに出かける。 運動することは、睡眠や栄養と同じくらいに大切なことだと身を以て感じるようになり カエルの声を聞きながら田んぼや川沿いの道を歩く 単純で素朴な行為の中に幸せがあることを知った。


今回の写真は、四月の最後や五月の頭に撮ったもの。
ゆっくりブログに向き合う時間はもうしばらく持てそうになく
写真だけでもツイッターで投稿していこうかしらと思ったりしています。。


もう五月も半ば。
みなさんはいかがお過ごしですか。

あちこちで踊り始めた初夏の美しさを
少しでも感じながら、過ごせていますように。





カモミールと蝶

カモミールに小さな蝶


手を近づけても、羽の後ろを指先でチョンと触れても全く動かず 何枚も写真を撮らせてもらった。
蝶ってこんなにのんびりしてて こんなに可愛かったっけ?


”霊は生命であり、生命は霊です。 それゆえ、生きとし生けるものすべてがーー小鳥も魚も花も果実も、みな霊なのです。”
シルバー・バーチの霊訓(十)p. 203








隙間時間を見つけては庭畑仕事。 例えば30分タイマーをかけ 駐車場への通り道をジャングル化しようとしていたカラスノエンドウを おりゃ〜!!と片付け その後18時から暗くなるまでの一時間 庭の草抜きと畑の冬野菜(巨大菜の花の大群)の片付けも。
あとは抜いた大量の雑草や 菜の花たち(自分の背より高い)の撤去。
それから土を耕して整える。

何に関してもゆっくりじっくり‥丁寧だが何かと時間がかかり過ぎて 困ることも多い私なのに草抜きのときだけは即決即断、大量の作業を短時間でこなすので 驚かれるし、自画自賛だが自分でも感心してしまう。 こんなに草抜きができるのなら 草抜きを仕事にすればいいのではと思ったりしてしまう。

土や植物に触れることが 元気の源であることには間違いない。

これからも 自然と調和して生きたい。
改めて思うのです。






夏野菜、何を植えようかな。 ゴーヤー、ミニトマト、ナス、バジルは絶対。 ピーマンやキュウリもいいな。 夏野菜は支柱を立てたりネットを張ったり 水やりも必要になるし、紫外線や蚊との闘いにもなるし 冬野菜よりも労力も時間もかかることは知っている。 けど、やってみたいんだ。 自分で育てた野菜を食べたいんだもの。 そしてそこから得た元気や喜びや感動を 出会う人たちに分け与えたい。 収穫したてのゴーヤースムージーの幸せを 今の場所でも味わうために、がんばるのだ。




春の写真が沢山溜まっているので、また日付をさかのぼり更新していこうと思っています。