容易くないからこそ


私の個人的な問題や悩みなど、世界全体に充満している問題や悲劇と比べると
全く取るに足らないような些細なこと、一時的なことばかり。
自分のことに多くの時間やエネルギーを費やしたり
本能のまま俗世的な喜びや個人的な幸せを追い求めるような状態からさっさと抜け出し
この迷える世の中のために、私の残りの地上人生を捧げ働きたい。
真剣にそう思えるようになり自分の道に迷いがなくなった。
2017年。








思うのは容易いが、実践となると大変な努力を伴うでしょう。
容易くないからこそ、努力のしがいがあるのです。








物の儚さ



欲しくて欲しくて手に入れた物や、誰かからもらった物。
初めは嬉しくて肌身離さず持ち歩いたり大事にしていても
しばらく経つと興味やかつての喜びが薄れてきて
いつの間にか空間を占領するガラクタになっていた。

自分も含め、多くの人が何度となくこのような体験をしているのではないだろうか。
それは、物資には我々を真に満足させる力がないからである。


喜びの源は一生懸命頑張って努力した結果、欲しい物を手に入れることができた
満足感や達成感だったり
誰かが自分のために何かを選び贈ってくれた
その相手の愛や気遣いにあるもの。

我々の心を躍らせたり感動させたりするのは
物質そのものではないということを
理解しておきたい。

物質に絡みついている感情や欲望が
我々は物を得ることで幸せになれると錯覚させている。

本当に価値のあるもの
我々が本当の意味で幸せ、そして豊かになるために
求めるべきは、魂の成長につながることである。
それらは決して時が経つにつれて飽きてきたり
そのうち不要な荷物となり、処分するかどうかで
迷い悩むようなことにはならない。


シルバー・バーチの教えでよく言われる大切なことの一つに、
物質には実体がなく、地上界限定のただの道具に過ぎないということがある。
我々の本体である霊に対して、肉体や他の物質は一時的な殻のような
霊の影のような存在だという。

肉体を持ち、物に囲まれ、物に頼りながらの生活をしていると
そのような考え方を理解し事実として受け入れるのはなかなか難しいと思う。

しかし自分は最近、大量の古い物の整理や片付けをしないといけない時期になり
物質の儚さや物欲の愚かさを痛いほどに感じている。

今はもう持っていてもあまり意味のないものや、
スペースを占領し自分が身動きできる空間を狭くしているだけのものが
次から次へと出てくる。
それらのどれもが、当時は欲しくて必要だと思い買ったものや、
買ってもらったもの、もらって嬉しかったものだった。

物質も肉体も幻影、という言葉が自分の中で事実となってきている。







柚子ツーリング?








ツーリング、ではありません。
ただ祖母の畑までバイクで収穫に行っただけです。

寒い日だったが、なぜかバイクで。
そして帰り道、柚子を届けに祖母の家に寄ると
いい香りがする!と喜んでくれ、少しおしゃべりをしているうちに
祖母にマッサージをして差し上げることになり
ごつい冬用バイクパンツ姿で、マッサージをさせていただいてきた。
何でも、やればできるもんです。

日が沈む空を眺めながら家まで走った。
清々しい美しさに寒さが吹き飛ぶようだった。

車なら、念入りに着込む必要もなければ寒風を全身に受けることもないし
バイクのバッグに入るだけしか収穫できない、ということもない。

しかしあえて色々面倒だし要領も良くないバイクを選ぶことで
ただの柚子狩りが、面白くてスペシャルな思い出になる。

この柚子で久しぶりに天然酵母を起こしてみたい。
もう何年も作れていない自家製酵母のパン。
復活させたいな。




1枚目の写真の柑橘は、柚子ではありません。
左が甘夏、右が金柑。
祖母が写真を見て空の色が綺麗だと喜んでいたので載せました。

あと、3枚目の写真の柚子のトゲトゲを見てください。
ごっついケンケンがあるから気をつけるようにと聞いていたけど
こんなに強烈だとは〜!!





晩秋に


晩秋の色彩や空気の匂いが好きだ。

今年一年分の成果や結果が集約され精算されていく時。

みなさんの2017年、いかがでしたか。






今年は染井吉野桜の紅葉がひと際美しかった。

落ち葉道をカサコソ、ガサガサと歩くのも楽しい。










しかし周囲の茂みの中からガザゴソと音がしたら
多分イノシシなので要注意。
今年はイノシシの出没が多い。

柿の生り年で、母が美味しい干し柿を沢山作ってくれた。
毎日忙しく走り回っている母がどうやって
柿を収穫し吊るし柿を作る時間を捻出したのかは分かりません。
小豆島のシンボル、オリーブもあちこちに実がどっさり生っている。
実家の畑の小さいレモンの木にも、去年の倍くらいの数の実がついている。




冬支度が進む中、十月桜が咲き
その辺りだけ季節外れの春のようだ。






それから、江戸彼岸桜。
寒桜よりは遅く、染井吉野よりは一足先に咲く春の花が
三輪だけ、ひっそりと咲いていた。







キャバリアのチョコさんは冬支度バッチリの様子。



11月11日






みなさんがきっと喜んでくれそうな綺麗な写真がどんどん溜まっていくのに
以前のようにブログを更新する時間を作れない。
なのでこれから、「今日の小豆島」という項目で
写真だけでも載せてみようと思います。


添えたいメッセージがあり
それをあまり時間をかけずにすんなりと言葉にできる時には
言葉も書くようにしよう。

小豆島からの清らかなエネルギーが、あなたの心に届きますよう。




十月最後の日没







とても美しかったです。

ハロウィンというのも、小豆島にいるとあまり関係のない出来事のように思えます。
街で暮らす誰かからその言葉を聞き、
カナダ時代のハロウィンを懐かしく思い出す程度です。

私たちは他界後しばらくして、同じような感じで
地上時代の出来事を振り返るのだろうと思います。



地上で叶えられなかった夢は





地上時代にあなたが願っていたけれども
何らかの事情で叶わなかったことは、こちらへ来てから叶えられます。 
苦労や試練を耐え忍び、定められた肉体の寿命を全うした人は
他界後、報いを受けます。
実現できなかった夢を叶えることができます。


私もそうでした。
十字架に磔にされたかのような壮絶な苦しみからすっかり解放され
体は羽のように軽くなりました。
強く望んでいたにもかかわらず、体の自由が効かず
泣く泣く諦めてきたことも、こちらに来てから叶えられています。











続き


五感だけに頼り霊的なことには実感を感じられない状況なので
そのように捉えるのは仕方がないことなのかもしれません。

死後の世界、死後の生活について
もっと知りたい、もっと学びたい。備えていきたい。
そのように思える人が増えていきますように。

求めてください。
私たちが差し伸べている愛の手に気づくようになるでしょう。



他界後の生活に備えるための地上人生




地上は修行の場です。
地上生活では難しい問題や苦労、悲しい出来事にも多く出会うことでしょう。

全てがあなたの成長のため、地上世界ならではの環境で
時に苦しみながら様々な経験を積み、愛の本質を学び
他界後の生活に備えること。

また、他界後あなたのために用意された仕事に従事するために
必要な知識や実力を身につけること。

これらが地上生活の目的です。
「死んで」他界してからが、あなたの人生の本番です。
地上に生きる今は訓練期間なのです。

今の地上での生涯こそが人生だと考え、
その期間内だけで物事を考えたり判断してはいけません。

それは、学校に通う期間こそがあなたの人生そのもので、
卒業と同時に全てが終わるのだと言っているようなものです。







霊能者、霊能力について





霊能力者は、自分の霊能力は自分のためではなく、人に奉仕するために
預けられたものであることを自覚しなければならない。
特別な霊能力を持つ自分は特別な存在なのだと勘違いしてはならない。
純粋な愛(利他愛)の行為として人のため世の中のために活用することを期待され
授けられた神聖な力である。その神聖な能力を汚してはならない。

自身の霊能力に気付いた人間は、それを正しく使うことを心がけよ。
神から託された聖なる力である。
責任感を持ち、気持ちを引き締め、神の使者としての役割を
謙虚に、そして使命感を持ち誠実に使用すること。

自分の金儲けのためや、人から注目されたい、崇められたい、好かれたい等
私的、利己的な目的に用いることは許されない罪である。
現在地上には霊能力を不正に使用し、自身の欲に溺れている霊能者が非常に多い。
悲劇的な状況である。
肉体の死後、彼等が対面することになる償いと埋め合わせのことを思うと気の毒でならない。

霊能者は自分に与えられた霊能力を正しく、他人の利益のために用い
利他愛の行為に徹している限り神の法則に保護され
更なる人助けの可能性が与えられ、世界の人々の幸せに貢献できるようになる。

利他的に生きる者は、利他愛こそが真の愛、真の喜びであることを知っているので
自身の利他的な行為によって自らも幸せを体験するようになっているのだ。
霊能力を正しく人のために用いる霊能者が増えていくことを願う。







知識と情熱のギフト






「神は問題は与えても、決して悩みは与えません。罪も与えません。
もし与えているというのなら、その与えている張本人は自分自身だということを知ってください。」 p. 211『背後霊の不思議』M.H. テスター著








何年か前に、自分の誕生日に本を買ったとブログに書いたことがあったが
今年もその近辺に本を買った。
M.H. テスターの本、モーリス・バーバーネルの本を何冊か。
彼らが残してくれた言葉に触れることができ、本当に幸せに思う。
近藤千雄先生が訳された文章には毎回惚れ惚れさせられるのだが、
両著者の言葉そのものである英語の原文も読みたい。
原書と翻訳版の両方を読むことで、翻訳の素晴らしさや有り難みを真に理解し
翻訳者の情熱、苦労、使命感や覚悟を察することができる。
霊界からの支援や導き、祝福を大いに受けていることも。
そして自分もスピリチュアリズムのために尽くしていきたいと
気持ちが引き締まるのだ。





十月になりましたね。
「九月が始まった」も「九月が終わる」も言えぬまま・・
私は秋が好きです。








絶対に許してはならないこと


「絶対に許してはならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。克服できないほどの大きな障害は生じません――内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが……。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野がさえぎられている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」


シルバー・バーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ  p. 34 ~ 35


癒し



チョコの写真を見て癒される、という声は以前から多く
昨日もまた頂いたので、久々にチョコやん登場。

長い間彼の写真を載せていませんでしたね。

さすがに今年の夏の厳しい暑さが辛そうですが
涼しい日や涼しい時間帯は元気です。
暑い日はエアコンの効いた部屋で寝ています。
10歳になりました。











828

カナダを去ってから、もうかなりの年月が経ったので
思い出すのも忘れてしまう年もあるのだけど、今年は思い出した。
四半世紀前の8月28日、小豆島からカナダへ渡った。
カナダへの渡航は初めてで、そのまま初対面のホストファミリーの家に行き、
数日後に14歳の誕生日を迎え、一週間後くらいには現地の学校へ通い始めたのだった。

大冒険だったなぁ、と今振り返り思う。

当時の自分は、冒険しているなど一切思っていなかったが。
新しい環境に適応していくのにただただ必死だった。

そして今振り返れば、四半世紀前に始まった”冒険旅”の本当の理由が分かる。
あの時から現在へ、一本の糸で繋がっているのが分かる。
地上界、霊界問わず大勢の人たちの愛と援助と導きによって
今日まで無事に歩んで来られたことも分かる。

以前書いたことがあるような気もするが、渡航前に父親が言ってくれた言葉。

「人と違う生き方をするということは、易しいことではないぞ。
それだけはしっかり覚悟しておけよ。」

その言葉はカナダ生活を超え、今も思い出す度勇気を与えてくれる。


振り返り感謝の祈りを捧げたら
再び前を向いてどんどん進んでいく。

8月28日は、自分の中でちょっと特別な日。















死は第二の誕生

 
「”生”を正しい視野で捉えていただきたい。その中で、”死”が果たしている役割を理解していただきたいと思います。人間はあまりに永いあいだ死を生の終わりと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。私どもはぜひとも無知――死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく別の生命を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられるより豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。

 死の関門を通過した人はカゴから放たれた小鳥のようなものです。思いも寄らなかった自由を満喫して羽ばたいて行くのです。人間が死と呼ぶところの看守によって肉体という名の監獄から出させてもらい、(原則として)それまでの肉体に宿っているが故に耐え忍ばねばならなかった不平等も不正も苦しみも面倒もない、より大きな生に向けて旅立ったのです。霊本来のかぎりない自由と崇高なよろこびを味わうことになるのです。

 苦痛と老令と疲労と憂うつとから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探究心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。それは間違いです。もしも霊的真理に目覚め、無知の翳みを拭い落とした目でご覧になれば、愛するその方の光り輝く姿が見えるはずです。死は決して愛する者同士を引き離すことはできません。愛はつねに愛する者を求め合うものだからです。あなた方の悲しみは無知から生じております。知識があれば愛する者が以前よりむしろ一段と身近な存在となっていることを確信できるはずです。霊的実在を悟ることから生じるよろこびを十分に味わうことができるはずです。

 皆さんもいずれは寿命を完うしてその肉体に別れを告げる時がまいります。皆さんのために尽くして古くなった衣服を脱ぎ棄てる時が来ます。霊が成熟して次の進化の過程へ進む時期が来ると自然にはげ落ちるわけです。土の束縛から解放されて、死の彼方で待ちうける人々と再会することができます。その目出たい第二の誕生にまとわりついている悲しみと嘆き、黒い喪服と重苦しい雰囲気は取り除くことです。そして一個の魂が光と自由の国へ旅立ったことを祝福してあげることです」

『シルバー・バーチの霊訓(三)』p. 44 - 46 より





人が生きるということや、死ぬということについて
正しく理解すれば、恐れたり悲しむ必要などないのに
私たち人間の大多数はむやみに死を恐れ、嘆き悲しむ。

また、今の肉体を持って生まれてから死ぬまでが人生であり
それが全てだと信じ、せっかくの地上人生を無駄に過ごしている人間で
この世界は溢れ返っている。


守護霊の愛と苦労



「私はいつも思うのですが、地上の人々、中でもとくに霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感をもって認識してくだされば、どんなに有難いことでしょう。地上の愛する者へ無益な害が及ばないように庇い、守り、導いている霊の姿を一目ご覧になることができれば、と思うのです。その影響力の大きさを知ることができたら、明日のことを思い煩うようなことは絶対にしなくなるでしょう。」  シルバーバーチの霊訓(10)p. 65







ぼくもみやちゃんと同じレベルだけど自分は
肉体が無い分 よく見えるしよく解ることが多い


日の出の少し前、まどろんでいる時にはっきりと聞こえてきた声。

守護霊の声だ、とすぐに直観した。
睡眠中、手を引いてどこかへ連れて行ってくれていたようだ。

声が消えたあとは、空にメッセージが並んだ。
実際に窓の外の空に、ではなく霊視のイメージですね)
ブロック文字が次々と現れては並び、生きたメッセージカードのようだった。
メッセージの内容は明確には覚えていないのだが
愛を含む何かを一生懸命伝えようとしてくれているのは分かり、嬉しくて涙が出た。


自分はひとりではない。
姿は見えないが、一緒に歩み全力でサポートしてくれている存在が大勢いる。
大勢から愛され守られ、導かれているのだ。
分かっているつもりだが終わりのない日常の雑事や問題に追われていると、
ついつい忘れかけてしまう。。









あなたが苦しんでいる時、辛い時、涙を流す時、私も一緒に苦しみ涙を流しています。
霊的成長のための試練に対面している時、手出しせずに見守るしかできないのは本当に辛い。
できることなら代わってあげたいと思うが、それは許されません。
そしてあなたの心が不安や悲しみ、怒り等、重々しい思念でいっぱいになり
私たちを寄せ付けない状態になってしまっている時が何よりも辛い。
それらの重たい想念はこちらからの援助を拒絶してしまうのです。
大切な相手が苦しんでいるのに、何もできないのです。
私たちはただ忍耐強く、あなたの霊の心が開くのを待つしかありません。


しかし、あなたの霊の心が開き、霊の目で見れるようになり
試練を受け入れ、苦しみから学び、また一つ霊的に成長できた時
私たちが味わう幸せや喜びは格別です。

あなたが自身の都合や損得よりも人のために、と思えた時、そして行動に移せた時
私たちにとって、こんなに嬉しいことはありません。
それができている限り、あなたの地上人生のコンパスは正しい方向を指しています。
人間はそうやって霊界からの援助、宇宙最大の力を引き寄せ、引き出すことができます。







忘れられ、感謝もされず、認識さえされることがなくても
守護霊はひと時も私たちを見捨てることなく、私たちを愛し導き、寄り添ってくれている。

この上なく困難な仕事に取り組みながら
この上なく尊い愛のお手本を私たちに示してくれている。

どんなに忙しくても、どんなに疲れていても
一日の終わりに守護霊への感謝の祈りを欠かさないようにしたい。





春の夕暮れ

初夏のような温かさ。 もうすぐ五月だし もう初夏という時期なのか。